いつか合気道の道場を設計したい
建築家のブログ

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-2024.1.20-

武道場の妄想

”なにごとの おはしますをば  しらねども かたじけなさに なみだこぼるる”

平安末期、僧である西行が伊勢神宮に参拝した時に詠んだ歌。

伊勢神宮の神秘の杜の雰囲気に深く感動し、かつ静寂の中に凛とした目には見えないもの、耳にも聞こえない不可思議な力に深く胸を打たれた時の気持ちが表れていると言われています。

神の存在を意図する建築とそこまでに至る参道や森、川などの環境がそろっている前提はあるものの、その場に立った時に感じる場の力や大いなる意思のようなものからなにかを受け取り感情に現れる現象。

これは自分の体験だと、體(からだ)全体に感じるぞわっとする感覚がきっかけになる事が多く、明らかに肌で感じ取っています。同時に感情に対しても働きかけがあり、涙があふれる、多幸感、我を失い呆然となる、時が停まる等の状態になる事があります。

建築や場に出会った瞬間、様々な働きかけがありその後は心静かで無垢の状態のようになり、心境の変化が起こる。今までそんな経験をした建築としては祈りの場であることが多かった氣がします。

つくる人(設計者)の意思が建築に現れるのはわかるのですが、意思や意図にプラスαの何かが人の肌を通して働きかけて来ているのは間違いありません。

その”何か”と一体何なのか?どのようにすればその”何か”を感じられる建築になるのか?”何か”を感じられる建築に対する興味が沸々と湧き上がってきます。

こんなことを想うのも、実はとある場所に合氣道、武術の道場をつくるべく頼まれてもいないのに勝手に妄想を練っているから^ ^

武道場は、単に合氣道の稽古をするという機能だけではなく、合氣道の争わない事の意味や意義、開祖の想いを追体験し、平和の種が育ち、広まり、争いのない和合の世界になる為の錬磨の場となります。世界中から日本へ合氣道の稽古者が訪れますが、稽古をする環境や建築から、人の意識そして行動へ働きかけられる場を想い妄想しています。武道場の環境と、人が武道場へ至るまでの道筋の中で感じる”何か”の存在を明確にして実現することが、頼まれてもいない妄想での目下の課題です(笑)