いつか合気道の道場を設計したい
建築家のブログ

category

-2013.6.1-

建築見学  鶴巻邸(現栗原邸) 本野精吾設計

建築家 本野精吾は日本モダニズム建築の先駆けと言われています。

旧鶴巻邸が建てられる5年前、1924年といえばG・Th・リートフェルトのシュレーダー邸、

今から90年前になんとこのような建物が世界では建てられていたんですね。

1926年にはW・グロピウスによるデッサウのバウハウス校舎、


1927年にはヴァイセンホフジードルンクにコルビジェの住宅。


1929年にはミースのバルセロナパヴィリオン。

ツꀀ


これらの影響を受けて、1930年以降に日本では堀口捨巳、土浦亀城らが白いモダニズム建築が作られはじめました。


旧鶴巻邸はその直前、1929年(昭和4年)に竣工しました。

構造は中村鎮式コンクリートブロック造で抽象的なボリュームの組み合わせで構成されています。
大きくアールを描いたポーチはモダニズム以前の要素のようですが支える柱はコンクリートの打ち放し!
自邸でも使っている打ち放しは、レーモンド自邸と並び、日本で最初に用いられたとされていますが更に進化しビシャンで小タタキ風となっています。

開口部の構成は外から木の建具、網戸のものではないかと思われるレール、鉄製の雨戸が袖の戸蓋内に収納され、カーテン若しくはブラインド。

雨戸は外側につけると戸袋ないしは雨戸がそのまま見える事になりますが、内部につけると存在が分かりません。外観を見ると袖部分に若干戸袋が出っ張っていますが窓と一体のデザインがされており意匠のように見えます。
また、鉄製のため頑丈ですが外側だと保守作業が大変なのと閉めるのに力が必要ですが内部だと比較的引き出しやすそうで、保守の頻度も減り、モダニズムとしてのデザインの面でも上手く考えられていると思いました。

ロケーションは京都市山科区の北面には琵琶湖疎水を背にした山沿いに有り、敷地の東面には林が有り平面計画に景色が上手く取り入れられていました。
特に気持ちの良かったのは2階のバルコニー森に囲まれる居心地のよさと、建物側を振り向いた時の立面がブロック壁と開口部でシンメトリーに構成されると共に適度な深さの軒出が居住間を作っているように思いました。
日本のモダニズムの始まる前という時代なのに風土や地域性も加えて見事に昇華されていました。
本野のデザインによる家具も多く残っており内部の空間と相まって魅力あるものとなってました。

そしてDOCOMOMO にも選ばれているこの建物が現持ち主に栗原氏の理解と協力の中で建築リソースマネジメントのフィールド実習として保存改修の研修の場となるとともに
一般公開されることで建築の良さや価値というものが多くの人の記憶に残る取り組みだと思いました。

ツꀀ