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-2026.6.2-
目の前のカタチを見る〜庭を見るワークショップ〜
先日、「庭を見る」ためのワークショップに参加しました。
講師は庭師であり、京都教育大学で教鞭をとられている山内朋樹さん。著書『庭のかたちが生まれるとき』でも知られる方です。

今回のワークショップで印象に残ったのは、「まず目の前にあるカタチを見よう」というお話です。何かを見るとき、ついつい説明文や解説、背景や歴史といった情報に頼りがちではないでしょうか。
日本庭園を見ても、美術館で絵画を見ても、「これは〇〇時代の作品で…」「作者はこんな人物で…」等。作品を見るよりキャプションを読んで理解した気になっていることさえありそうです。
もちろんそれらの知識も大切ですが、まず目の前にある「カタチ」を見ること、その見方を教えていただくと見えてくるものが変わります。
「受胎告知」の絵画で説明していただきましたが、よく見てみるとどこか不自然な人の姿勢や姿があります。それらは、実はこんな構造、こんな構成、という理由が見えてくると、「なるほど、だからこのカタチなんだ」と腑に落ちます。それまで見えていなかったものが見えてくる瞬間です。
その後、ワークショップではチームでひとつの庭をつくりました。参加者それぞれが持参した石を二つ持ち、一つずつ順番に置いていきます。
やることは単純です。石を置く、ただそれだけです。なのに、とても難しく悩みます。
どこに置こう。うーん、悩む。

誰かが石を置くたびに、みんなの視線がその一手に集中します。「そうそう、その位置だよね」と思うこともあれば、「そこに来たか、、、」と予想外の展開になることもあります。
誰かの一手によって、それまで考えていたことをもう一度見直す、その繰り返しです。作庭が終わったあと、それぞれがなぜそこに石を置いたのかを共有しました。
普段なら、自分にピッタリの心地よい場所を見つけているし、なんとなくの違和感、微妙なズレもあえて言葉にすることなく調整しています。ですが、今回はみんなで共有するために、あえてそこに石を置いた理由を言葉にする作業をすることになりました。
人それぞれの石をそこに置いた意図のシェアはとても面白いものでした。そして完成した庭は、なんともいい庭になったのです。
誰かひとりが設計したわけではなく、正解があったわけでもありません。背景や文脈などから生まれる楽しさではなく、みんなが同じように目の前に見えているカタチから生まれる楽しさを味わう時間でした。

庭を見るワークショップでしたが、同じようなことが建築にも通じるように思います。
性能、間取り、設備、流行、コンセプトを説明した言葉、そういった説明から家を理解したつもりでいることはないでしょうか。それらはもちろん大事なことですが、その説明をいったん脇に置いて「見る」ことをしてみる。
なぜこの窓はこの位置にあるのか
なぜこの大きさなのか
なぜこの屋根はこの勾配なのか
なぜ天井はこの高さなのか
なぜここに余白があるのか
そんなふうにカタチを見ていくと、その建築を成り立たせている構造や関係性が見えてくることでしょう。建築には様々な条件があり、庭や絵画と異なる点は多々ありますが、構造上の理由だったり、敷地条件だったり、光や風との関係だったり、その家を成り立たせている骨格のようなものが見えてくるはずです。
「ああ、だからこのカタチなんだ。」と、腑に落ちると、おそらく家の見え方が変わってくることでしょう。
庭を見るワークショップでしたが、私にとっては「見るとはどういうことか」を改めて考える時間でもありました。説明や意味に意識が向かいがちですが、その前に目の前のカタチをよく見る。
なぜそうなっているのか。どのような関係で成り立っているのか。楽しい学びの時間でした。主催の大野さん、講師の山内さん、ありがとうございました。